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About Me

​story

私について。​​

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My  Story

砂浜

自分の人生のなかで人生の転機と思えることはいくつかありますが、仕事をする上での大きな転機だったのは、長野県で過ごした日々だったように思います。

20代の若かりし頃でございました。

その頃は蓼科にある企業の保養施設で働いておりました。

八ヶ岳を一望しつつ、山、山、山。。。で、山を見ていると頭が開く。

と思いつつ、お酒ばかりを飲んでいた気がいたします。

ワインと焼酎。

おつまみを京料理の料理人に作ってもらうというなんとも贅沢な日々。

飲んだくれる日々と、ちょいちょい近くのスキー場で挙がる冬の花火を見て、涙する日々。

そんなわたしを癒やしてくれたのが、蓼科にあるレストラン・ディモアという小さなお店の優しいガトーショコラのケーキでした。

フレンチのお店なのですが、片田舎のなかでのプロ意識の高いお店の人たち。

私の中では世界で一番美味しい私の五つ星レストランです。

優しくって、あたたかいお店で、この場所で癒やされた記憶がココロにしっかりと今でも刻まれています。

一口、ガトーショコラを食べるだけで、優しい気持ちになれる。

「おいしい」

その心の声が、心のずっと奥にしみてくる。

そういう時間が心に残すもの。

それを知ったお店でした。

美味しいケーキだけじゃなく、小さな心遣いが随所にあって、ステキなお店です。

そのひとつにマダムが書いたイラスト付きのランチョマットがテーブルに置いてあって。

あるときの一説に

「ふりかえったときにいつもそこにある。そんな店でありたい。そんな人でありたい」と、

随分昔のことなのでちょっと違うかもしれませんが、そんなようなことが書いてありました。

今でも私のコアになっている部分です。​

そして、決して優しくない長野の冬の寒さと共にココロに傷を持った友達との出会いもありました。

生きるってなんだろう。とはじめて考えた時期でもありました。

まだ、携帯電話のない時代。

あるとき、仕事から帰ったら、

「私はもう、だめみたい。」からはじまる留守電が入っていて。

意味も分からず、また別の友達とマンションに駆けつけました。

車はあるのにいない。

右往左往していたら、隣の部屋の人から彼女が病院に搬送されたことを知りました。

病院に着いたら、当時の支配人や同僚もいて、何が起こったのかをここで知り、現実を理解しました。

あのときの支配人の顔は今でも良く覚えています。

彼女だけではなく、いろんな人の思いがそこにはありました。

次の休みの日に山梨まではじめてお見舞いに行きました。

道中、はじめて富士山を見ました。

 

大きいなぁって。

絶対的な強さ、その存在は何か大きなものを秘めているというか。

とてつもなく壮大で、ずしんと大きく脳裏に焼き付きました。

病院に着いたら、病院の前に大きな噴水がありました。

その日はとても良い天気で。

太陽に水しぶきが反射して、水の音をたてながらキラキラ光っていて。

それが、とてもキレイでした。

立ち止まって、その水しぶきをただ、キレイだなって見たとき。

生きるってよくわからないけど、こうやって感じることの積み重ねなのかなって。

当たり前のことなのですが、すごくすごく切ないほど実感して。

生きているんだって、手を太陽に当て、立ち止まった。

真実の瞬間でした。

病室に着いて、噴水を見て感じたことを彼女に話して。

返ってきた言葉を聞いて、言ってしまったことをすぐに後悔した。

その感情こそが今の仕事に繋がって繋いできた思いだったのかなって思います。

お見舞いに行くたびに、くだらない楽しい話をベラベラとただ横で喋り続ける。

​ただ笑わせること。

それしかできない私でした。

退院が決まって。

実家には帰らずに、一度、引き取ることになりました。

注意点など主治医の話を聞きました。

もう随分前のことですが、今でも先生の話は、はっきりと覚えています。

大人だけど、預かった責任の重さがやはりありました。

長野で過ごした日々はいろんなことがギュギュッと詰まっていて、決して良い思い出ばかりではないけれど、心に刻まれている記憶は私のコアな部分をつくっている。

​いろんな角度から五感が刺激されていた、そういう時期だった気がしています。

というのが、About Me というべきわたしです。

何を書こうかとキーボードを前にしたとき、やっぱり長野の記憶に手が動きました。

原点のようなものでもあり、未だにクリアーできていたい課題が残っているような気もしています。

正しい答えなんてない。

常に迷うし、悩む。

​悩みながらも、その時々で答えを出していく。

ただ、道が続いていくだけ。

 

 

 

 

 


 

そんな私が長野県から帰ってきた後に出会ったのが、リフレクソロジーでした。

はじめて、親指でむぎゅーっと足裏を押したとき、小宇宙と繋がる感覚に魅了されて、今に繋がっていくのですが。

それが、1999年の7月のことでした。

リフレクソロジーと出会った頃はホテル勤務でしたが、何かをつかみとる、そういう出会いを求めて、リフレクソロジーに出会ったのかなって思っています。

リフレクソロジーのスクールを卒業後は、出張専門のボディケアーのお仕事に就きました。ボディーも覚えた方がいいよ。の鶴の一声で覚えて。

これがまた、押す。押す。押す。の繰り返しをしていると静かな時の流れを自分のなかに感じた、無の局地感があって。

ベッドと手ぬぐいをバックのように抱えて、文字通り、走り回る日々。

この頃は今までで一番、忙しい私にとっての超バブリー時期。

朝日を見ながら、仕事を終えるということも多く、ちょっと、いやだいぶ調子に乗っていた時期でもあります。

その頃に出会ったのがアロマテラピーでした。

 


 

 

 

 

 

 

 

アロマテラピーと出会った頃は、休みの日にはマッサージ通いが日課。

たまにはオイル系も受けてみようかなって軽い気持ちで予約したのが、ひとりサロンのロミロミサロン。

ちょっとロッジ的なステキな場所でした。

そこで出会ったのがゼラニウムの香りでした。

心のずっと奥に、ゼラニウムの香りがすとんと響きました。

​響いただけじゃなくって、安心感が半端なかったような記憶があります。

そして、選んだのがナード・ジャパンでした。

スターターキットみたいなのがあって、それを使っている内に中学の頃から半年周期の生理が毎月来るようになりました。

そういう側面もあるんだなって思いはしたけれど、当時も今も、目指しているのはそこじゃなかった。

はじめてリフレクソロジーを通じて、施術するということを知って。

押したときの一体感に引きつけられた。

​それが私の道になりました。

それが2001年の7月の時でした。

勉強が終わった頃、当時の社長がアロマの仕事場所を提供してくれました。

上にプロペラが回っている私にはもったいないぐらいなステキな場所でアロマ仕事をはじめたのが最初の一歩でした。

数年後、その社長と決別して、小さなアパートの一室にこもってお仕事をしました。

その後、いろいろあって(だいぶ省略しました。。)、今のシャンターヤヨガの先生から(元々、お客様としての付き合いがあったので。)

「移転するから一緒にやらない?」って誘ってもらって、今に至るというちょっと長いお話でした。。

​人が人にできることは限られている。

だけど、寄り添うだけでは足りてないって思う。

​話を聞くだけでは足りてない。

感じたことをただ話せばいいというわけでもない。

人はそんなに強くもないけど、はっきりと弱いわけでもない。

それに人の心は複雑。

こういう自分だから、お客様との付き合い方も絶対的な立場では決してない。

言葉は時に、傷をえぐるナイフにもなるし、愛のある言葉にもなる。​

出会ってくれたいろんな人に心からありがとうをおくりたい。

Thanks  

そして、これからもどうぞお付き合いいただけたら嬉しく思います。

2021.9.15

​yumi

ぼやけライト
白い柱
階段
猫クローズアップ
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