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​そして、私。

また、1999年にリフレクソロジーへの扉を開く以前、それよりもっと前、癒やされた記憶や友達への思い、はじめて富士山を見たときの壮大さが深く関わっていたように思います。

長野県の蓼科に住んでいたことがあります。

昨年はその頃の友達と25年ぶりに再会し、25年前のことがまた違った色に変わった感慨深い時間でした。

あの頃ではなく、今思うこととして、書ける範囲内で書き綴ってみたいと思います。

平凡に生きてきた私がはじめて「生きるとは何か」という壮大なことを考えた時代。そんな壮大すぎる答えは、なかなか見付けることなどできませんが、あっさり答えてくれたのが富士山でした。

ある友達が山梨の大学病院に入院し、その道中、中央道でそのことをずっと考えながら運転し、そして、どんといきなり見えてきたのがはじめて見た富士山でした。

壮大すぎるほどの圧倒的な富士山。

その存在だけで十分な答えでした。

病院に着いたら、その日はとても天気が良くて、病院の前の噴水がとてもキレイでキラキラと太陽に反射していました。

キレイだなって思った。

ただ、そう思った。

それがその時の私にとっては生きるということはこういうことなのだと思えた瞬間でした。

道中の富士山の圧倒的な存在感と噴水の美しさ。

だから、意気揚々と病室に着いた私は浅はかにも彼女にそのまま伝えました。

すぐに後悔しました。

言うべきじゃなかった。

でも、言いたかった。

伝えたかった。

何故なら、大好きな友達だったから。

いっぱい笑ったし、いっぱい泣いた時代。

後悔するとわかっていても逃げ出したかった苦い思い出。

冬の花火の切なさ。

随分と長い間の時間、この時代への後悔はずっと残っていたけれど、今はあの頃の自分は自分で精いっぱいだった、ギュギュッといろんな事が詰まった大切な思い出。

この時代を私はパンドラの箱のようにして生きていきたい。

今だっていろんな事がある。

不完全な人間同士、特に私は失敗も多い。

それでも、​最後は希望になると信じて今日も生きていこうと思う。

いつも私の隣には精油がある。

aroma
therapy

香りを表現しようとするとき、私たちは香りを言葉に変換しようと試みます。

記憶を辿り、イメージを言葉にしようと言葉を繋ぎ、その時々の情緒が結びつきます。

心地よい香り、食べること。恋をすること。音楽に耳を傾けること。感動する、いろんな喜びは脳内に幸福感をもたらす化学物質を放出します。

幸せなときでも憂鬱なときであっても、怒ったときや悲しいときでも脳内では各種の科学物質を作り出しています。そして、それを身体の各部分に送るので、悲しかったり、幸せを脳が感じたとき、同じように身体の各部分でも悲しかったり、幸せを感じます。

嬉しいときに流す涙の成分と悲しいときに流す涙の成分が違います。嬉しいときに流す涙は甘く、悲しいときに流す涙はしょっぱいように感情と身体は結びついています。

脳で幸せと感じれば、身体で幸せと感じる。それが相乗し、脳から身体へ、身体から脳へと共振共鳴。身体の各部分の皮膚や免疫単球と呼ばれる細胞のなかなど脳以外の身体の各部分にも見られ、身体が幸せに感じれば脳も幸せを感じ、脳が幸せを感じれば、身体も幸せを感じます。

アロマテラピーの芳香は本能と記憶にゆだねられます。

香りは、記憶から再生へと進み、本能と記憶に働きかけ、癒しへの道筋を作り出します。精油の香りは、香りに癒された記憶が深ければ深いほど、脳であり、心でもある部分が「記憶」し、記憶から再生へとすすみ、より深く心の真ん中にたどり着き、私たちに「何か」を語り掛けてきます。

精油の言葉なきことばは、とても小さなささやくような声。

表現できない香りの世界観は、脳や心が記憶し、精油と自分自身が一体化することで香りに癒されます。

誰しも最初は自分にとって親しみやすい、乗りやすいリズムの香りを選びます。

そこから一歩進めて、異なったリズムを聞きながら、精油と波長を合わせることで、精油のエネルギー領域に適応し、感じるところがあり、しばし考えさせられ、何らかの記憶を呼び起こされるような、精油のなかに存在する自分と同じ性質に気付かされます。

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